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マヤマ ヒロオ
Mayama Hiroo 間山 広朗 所属 神奈川大学 人間科学部 人間科学科 神奈川大学大学院 人間科学研究科 人間科学専攻(地域社会学分野 専門科目担当教員) 職種 教授 |
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2011/09 |
形態種別 | 著書 |
標題 | 『<教育>を社会学する』(第3章「いじめの定義問題再考-『被害者の立場に立つ』とは」(pp.98-126)担当)学文社. |
執筆形態 | 共著 |
掲載誌名 | 『<教育>を社会学する』 |
出版社・発行元 | 学文社 |
巻・号・頁 | 98-126頁 |
著者・共著者 | 北澤毅編 |
概要 | 第3章「いじめの定義問題最高ー『被害者の立場に立つ』とは」(pp.98-126)を単著。
いじめをめぐる議論の多くは、最初にいじめ定義の曖昧さを指摘するとともに、いじめ発見の難しさから、定義の重要性を論じることから始められることが多い。とはいえ、「被害者の立場に立つ」という近年のいじめ定義の方針は、必ずしもいじめ発見に寄与するわけではないばかりか、被害者をエンパワーするという本来の目的を果たせていない点を指摘した。「定義」という活動を、何らかの現実の本質を切り取る活動としてではなく、むしろ何らかの目的のために行為を構成する「説得的定義」としてとらえるならば、無条件に「被害者の立場に立つ」定義は被害者のディスエンパワー(無力化)になるおそれがある。そうしたアンフェアないじめ論のあり方を変更せねば、「被害者」は無力なままなのではないかということを論じた。 |