|
|
セキグチ マサヒデ
Sekiguchi Masahide 関口 昌秀 所属 神奈川大学 経営学部 国際経営学科(教職課程) 職種 教授 |
|
言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2004/03 |
形態種別 | 大学・研究所等紀要 |
標題 | いわゆる「教育についての2つの規定」を読みひらく |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 神奈川大学 心理・教育研究論集 |
巻・号・頁 | (23),129-139頁 |
概要 | 本稿では、勝田守一が「教育の本質」として提起した「教育についての2つの規定」――「教育についての事実的規定ないし社会的規定」と「教育についての目的的規定」――の関係について、1つの解釈を提起した。これまでの理解としては、たとえば藤岡貞彦は、2つの規定を理論的な二元論とし、それゆえそれはアウフヘーベンされるべきものと解釈する。これに対して本稿は、「開放系の訓練論」としての民主的訓練論が依拠した「教育関係が本来的に孕む矛盾構造」という藤本卓の指摘に示唆を受け、「教育関係としての世代間関係における本来的対立矛盾」を指摘したものとして2つの規定を解釈する。
勝田自身の記述では、両規定とも、それぞれに2つのことを指し、二重の意味をもっている。社会的規定は、教育の本質は大人世代の働きかけにあることを指摘するとともに、その過程で本質をなすのは個人的側面より社会的プロセスだと主張する。目的的規定は、1つには理想の側からの規定であり、もう1つには学習する側の規定である。目的的規定を理想的規定として理解し、それとの対応で社会的規定を事実的規定として、つまり2つに規定を理想と現実の対立として理解するのが、藤岡的な解釈である。これに対して本稿は、目的的規定を学習者規定として読み、それとの対応で社会的規定を大人世代の働きかけとして読む。 このように読むと、勝田が指摘した2つの規定は「教育関係が本来的に孕む矛盾構造」へとつながっていく。いいかえれば、これは、勝田の中に民主的訓練論が屈折して反射している、ということである。 |